-プロフィール-
1947年3月28日、米国カリフォルニア州オークランド出身。9歳でベースを始め、14歳でオークランド交響楽団と共演。
「ベイエリアの天才ベーシスト」としてデビューしたポールは16歳でプロとしての演奏活動を開始、オーネット・コールマン、ハンク・ジョーンズなどと共演しながら、ジャズ・ベーシストとして着実な歩みを続ける。
その後、3年間ベルリンを拠点に音楽活動を行う。
帰国後、シーラ・Eの父ピート・エスコヴィード、レニー・ホワイトらと共にラテン・ロックバンド「アステカ」を創立。
レコーディングとコンサート・ツアー(ヨーロッパ・アメリカ)に3年間専念する。「アステカ」解散後、サンフランシスコの敏腕プロデューサー、デイビッド・ルービンソンと出会い、当時はほとんど無名だったポインター・シスターズのレコーディングに参加。
彼女たちのゴスペルサウンドにポールのフアンキーなサウンドをミックスした音楽は、後のポインター・シスターズのサウンドの基礎となる。
このころからベーシスト、ポール・ジャクソンの名は、音楽関係者の間で高まり、ハービー・ハンコックにスカウトされ、以降ハービーのグループに11年間在籍。
ジャズ界始まって以来のミリオンセラーアルバム“ヘッドハンターズ”のベースラインはあまりにも有名。
以後続々とヒットアルバムを手掛け、“カメレオン”、“ハング・アップ、ユア・ハングアップス”、“スパイダー”はそれぞれ1974、75、76年と、連続でグラミー賞にノミネートされた。
また、スティービー・ワンダーとの共演などでも好評を博した。
ポール・ジャクソンの特異なリズム間とリズムに対する飽くなき追求は、知性派ピアニスト、ハービー・ハンコックの音楽を根底から変えることになる。
「ポールなくしては今の自分はありえない・・・」とハービーは語る。
当時、創作上行き詰まっていた彼に「広く大衆とコミュニケートしてごらん」と説いたのが<ファンクベーシスト>のポールであった。
彼はハービーとの世界ツアーの合間を縫い、多くの一流ミュージシャンのレコーディングやコンサートにゲストとして参加、一方、映画のサウンドトラックやミュージカルにも活動の幅をひろげ、それまでのジャズ界の流れを大きく変える原動力となった。
チャールズ・ブロンソン主演 “Death Wish” (1976年パラマウント映画)や“ダーティー・ハリー3”、ブロードウエイミュージカル
“Don't Bother I Can't Cope” などの音楽監督も務め、米国やヨーロッパで好評を博した。
一方ライブではパリ、スペイン、モントレー、ニューポートなど多くのジャズ・フェスティバルに参加、各地で聴衆を魅了した。
やはり一流のベーシストであるジャコ・パストリウスは「自分のプレイが最高だと思っているから他の奏者の演奏は聞かない。 だけどポールだけは格別さ。
彼のベースワークはソウルフルで、ガッツ満杯、ファンキーだから大好きだ。」と語る。
ポールは、「ベーシストの役割はバンドのサウンドの土台となることが基本。
ベースなくしてサウンドは成り立たない。前にシャシャリ出て行くベーシストが多いけれど、ぼくはあくまでも奥に引っ込んでいて、全体のサウンドが崩れないよう下からガッチリと支えたいんだ。」と言う。
早いリズムを刻むほど、逆にパワーが増してダイナミックになるのが彼のプレイ。
が、それが冴えるのも、彼が自ら語るベーシストとしての姿勢があるからであり、一流のプロフェッショナルほど彼の才能に気づくと言われている。
1985年日本に音楽活動の本拠地を移したポールは現在東京に在住。
子供達のための音楽教育プログラム「Jazz for kids」の活動を始め、全国の小中学校や高校など80校以上を訪問。
アメリカ、ヨーロッパ等、世界各国の音楽フェスティバルに参加する傍ら、1997年には、Charと「サイケデリックス」のメンバーとして共演。
武道館のコンサートでも好評を博した。
また、1998年には25年ぶりにヘッドハンターズを再結成。
ハービー・ハンコックと共にアメリカ〜ヨーロッパ〜日本ツアーを大成功させ、同時に出したアルバム“リターン・オブ・ヘッドハンターズ”は発売9週目でヨーロッパ・チャートの1位
に輝き、その健在ぶりを名実ともに示した。
ポールの音楽はジャズやロックの世界にとどまらず、林英哲(和太鼓)、ジョン・ネプチューン
(尺八)、 佐藤通弘(津軽三味線)、等々邦楽、そしてクラッシックの世界とも積極的に共演。
また演奏活動だけでなく、テレビ番組やコマーシャルのための作曲、プロデュース、出演等、広範囲に活動を展開している。
ポールは来日以来多くの日本人ミュージシャンとセッションしてきたが、中でも
「Bad Boys Blues Band」略称 4B’s − 塩次伸二 (GT) Marty Bracey (DR) 小島良喜 (KY)
「the Jazz Masters」 - 柴田敬一 (KY) Tommy Campbell (DR)
は多くのファンが今後の活躍を期待しているバンドである。
2001年より兵庫県芦屋市に居を移したポールは、関西のミュージシャンとも多くのセッションを開始。
「関西ファンクマシン」も今後の動向が見逃せないバンドだ。一方ヘッドハンターズで絶妙のコンビを見せたMike Clarkとは、2002年春Blue
Noteツアーを行い、東京、大阪、福岡の各地でChar、Jack Walrathと共に他では見られないコラボレーションを披露した。
2003年のポールの活動はヘッドハンターズを中心にまわっている。3年越しのレコーディングが遂に完成、待望の新アルバム「Evolution
Revolution」がアメリカでリリースされたからだ。
春から夏にかけ、ポールはオリジナルメンバーであるMike Clark、Bill Summersに加え、このアルバムからバンドに加わったVictor
Atkins (KY)、Donald Harrison Jr. (SAX)と共に全米各地でセンセーションを巻き起こしている。
1970年代から「ファンクベースの元祖」と呼ばれてきたポールだが、今回の全米ツアーでは「God
of the Bass」という表現が批評家の間で高まっている。
ポールの人気はヨーロッパでも高いが、2003年7月にはフィンランドのイマトラで行われたImatra Jazz Festivalに参加、同じく日本から参加のドラマー阿部知幸氏以外は地元フィンランドのメンバーから成るバンドはPaul
Jackson’s Funk AttackとしてManhattan Transferに続いて演奏、大好評を博した。。 |